同窓会に行けないやつを笑うな
毎日あっちぃですね。
このnammっていう名前、
実名を何気なくもじって遥か昔のmixi時代から使ってきたんですが、最近ミサイルの国のあの人っぽいなと思えてきて…もー変えようか。別に愛着あるわけでもないし。
ところで本日、私の地元で高校時代の同窓会が行われた。今回はちょっとスペシャルなやつで、恩師を主賓として呼ぶというもの。
「なるべくみなさん参加しましょう!」という幹事グループの言葉を尻目に、私の友人達は揃いも揃って
「そんな昔の生徒なんて先生おぼえてないでしょ」
「別に会いたい人がいない」
「どうせ子連ればかりで行きたくない」
「同窓会は行かない」
「…欠席で!」
などと、行かない派のひねくれものばかり。
(高校時代はみんな、それなりにクラスメイトたちと楽しく接していたのにも関わらず)
というわけで、結局いまのところ一度も同窓会に出ていない私の欠席も確定。
今よりも更にビビリで人見知りで、ごくちいさなコミュニティの中でしか生きられなかった高校時代を過ごした私にとっては、当時から親しかった訳でもない元クラスメイト達と自然に接することができるのか想像がつかない。ていうか、正直なんかの試練かと思うぐらい腰が重い。
友人たちと違って、私は個人的に先生には恩を感じているので罪悪感があるものの…しかしながら悩んでみたところで、私なんかの欠席が誰かに残念がられるとは思えないのだった。
そもそも同窓会ってなんなんだろう。
仲良いメンバー同士でいいなら、別にわざわざ同窓会にしなくっても集まっているはず。
もしかしたら、普段交流のない奴にこそ来てほしいのだろうか。
今なにしてんだろ?みたいなな好奇心か。それか不特定多数に自分の幸せアピールしたいのか…。
(でもアイツ今なにしてる?って番組おもしろいですよね!)
今日、同窓会当日の夜。
家でゴロゴロしていた私のスマホにグループトークで写真が送りつけられてきた。今日の写真だった。何気なく見た瞬間、衝撃が走った。
みんなすごいイイ顔しとる…!
みんな高校時代より幾らかカドが取れたような晴れやかな雰囲気で、ごく自然な笑顔を見せている。
…。
対して同窓会に行かないと答えた友人たちや、こんなブログでくすぶっている私は…?
こういうとき、こんないい顔して写真に写ることができるだろうか??
私たちは、結婚したくてもなかなかできなかったり、子どもがいなかったり、仕事がうまくいっていなかったり…それぞれなんらかの「自分にないもの」を気にしている。
そんな自分は確固たる自信が持てないので、同窓会に「行けない」。
でも、この同窓会に出た元クラスメイト達の表情が表していることは…。
きっと彼らはみんな
自分の人生に満足してるってこと。
もう、それって最強。
それは別に、欲しいものをすべて持ってるってことではないんじゃないか。
何を持っているとか何が足りないとかじゃない、ただの今の自分というものに満足できているんだなという感じ。
その差はたぶん心の持ち方ひとつ。
なろうと思えば理論上は今この瞬間から誰もがなれるものだ。理論上は。
たしかに、ずらっと並んだラインのプロフィールアイコンを見ていると、女の幸せの行き着く先は結婚して子どもを持つことなのかなと思わざるをえない。
もともと女って、選ばれる性だから。
褒められたい選ばれたいという本能が、くやしいけれど遺伝子レベルで根を張っている。
女のエリートコースに乗りそびれた者が自分を保つには、すんごい仕事をしてるとか、海外に行ってるとか、モテすぎて結婚する必要がないとか……なにかしら理由が必要だったりするのが現実。
でも、本当はそんなこと気にしなくてもいいのかもしれない。
自分が人に勝てるものを何も持っていないとしても、自分が自分を認めていて笑顔でいられること。
それが本当にいま幸せってことなんじゃないか…??
幸せだから同窓会に出れるのか?
同窓会に出れるような人だから幸せなのか?
なんて
約15年の時を経て一様に丸くなったクラスメイト達の顔を見て、いろいろと考えてしまった。
私も幸せになろ。